orange’s diary

気ままに、のんびりと。V6。

舞台『二十日鼠と人間』 ジョージはなぜあの決断を下したのか

東京公演を観劇した日から早1ヶ月。先日、大阪公演初日に行ってきました。1回目観た時との感じ方の違い、健くんがパンフで仰っていた、物語の『余白』について考えてみようと思います。

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以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

私、大阪をナメてました(笑)公演前に軽い気持ちでこんなことをつぶやいたのです。

さあ、いざ蓋を開けてみると、空気感の違いは想像をはるかに超え、まるで違う作品を見ているかのような錯覚に陥りました。なにせかにせ、関西人はちょっとしたギミックにも反応して、とにかくよく笑うんです。たしか東京では笑いが起きたシーンは2シーンくらいだったと記憶していますが、その10倍は笑っていました。だから、会場の雰囲気は終始穏やか。いい意味で重みが消え、東京で観た時よりも人間の愚かな部分、おもしろい部分を感じ取ることができました。

 

これは東京、大阪に共通して言えることですが、ほんとに生演奏が素晴らしかったです。舞台で生演奏するのは珍しいのではないでしょうか。聴いていてとても心地良いリズムでした。上手く言えませんが、音楽が“生きてる”感じがして、、、とにかくよかったです!

 

ここからはジョージが取った行動について、核心に迫りたいと思います。なぜジョージはレニーを撃ち殺したのか。いくつか仮説を立ててみました。

  1. キャンディの言葉が忘れられないから。もはや説明不要です。この場面を語る上で欠かせないのが、きっと誰もが勘付くであろう、キャンディとその愛犬のくだり。これがすごく重要な伏線になっています。(舞台に行かれてない方、この場面の詳細は小説をご一読願います。)キャンディが「自分の手で殺すべきだった」と言っていたことが心に残っていたのでしょう。だから、後悔しないように自分で殺したのではないでしょうか。
  2. ジョージも人の子、レニーよりも自分が可愛いから。1回目に観た時はレニーのことが大好きだから故の、やむを得ない苦渋の決断なんだとばかり考えていました。でもよくよく振り返ってみると、ウィードでもレニーは同じような過ちを犯しています。その時は2人で暗くなるまで1日中用水路の中に隠れ、夜に隙を見て逃げたのです。そしたら今回も同じようにすればよかったのでは…?という疑問が湧いてきました。ジョージは自分では否定していましたが頭が冴えているタイプの人間だし、レニーを連れて逃げようと思えばきっと逃げられたはずです。でも、逃げなかった。その決断にはきっとジョージの夢が大きく関係していると思います。キャンディが仲間に加わったことにより、レニーと散々語り合っていた『自分の土地を持ち、その土地のくれる一番いいものを食べて暮らす』という夢が実現しかけたのです。まるで絵空事みたいな、夢でしかなかった夢が、現実味を帯びてきた。でもはっきり言って、レニーは夢を実現するにあたって足手まといです。キャンディに「俺と2人でやらんか」と問われたときは、さすがに事が起きた直後だったためすぐにイエスとは返してしませんでしたが。ジョージもある意味吹っ切れたのではないでしょうか。やっぱり親子でもない限り、一番可愛いのは自分だと思うんです。ジョージは「ずっとレニーと持ちつ持たれつの関係で一緒に旅をしたい」「でもあいつといるとトラブルに巻き込まれるからもううんざりだ、1人になりたい」という二つの思いの狭間で揺れていたと察します。実際にレニーにもその気持ちをぶつけていますし。だから、レニーに愛想を尽かしたというわけではないですが、自分の中で気持ちに区切りをつけたのではないでしょうか。
  3. スリムの意見は絶対だから。ジョージは警戒心が強く、周りにあまり心を開きません。しかし、スリムには誰にも言わないつもりだったウィードでの出来事も話せてしまいました。勢いでうっかり話してしまったわけですが、「このこと誰にも話すなよ…って話すわけないよな!」というセリフから、ジョージは本当に心の底からスリムのことを信じているということが解ります。(少し脱線しますが、このジョージとスリムが2人で話すシーンの健くん、可愛かったなあ。まるで子どものように穢れのない、満面の笑みが忘れられません。)スリムはこの農場で働く農夫の中で、一番の発言力を持ちます。そんなスリムにジョージは藁にもすがる思いでレニーを檻に閉じこめるのはダメかと伝えましたが、そうはいかないと言われ、観念したのではないでしょうか。

仮説2はジョージを悪く言ってるような気がして心が痛いのですが、わりと合点がいくので迷いつつも書いてみました。いかがでしょうか。

 

そして、もう一つ気になるのが、ジョージのその後について。私の想像では、きっとキャンディと夢の実現に向けて準備するのではないでしょうか。それがレニーへの報いにもなると思います。ジョージは、時々レニーを思い出したりもしながら、自分の人生を力強く歩んで行くはずです。なんたって、ジョージはまっすぐで真面目な男ですから。いつまでも下を向いてるわけがありません。何年後かに、夢を叶えられたかな。知りたいです。

 

キャンディの名前が出ましたので、ここで少し触れておきましょう。キャンディ役の山路和弘さん、本当に面白すぎる!抑揚の付け方とか、セリフを言う間(ま)とかがとにかく絶妙で、私も思わず声を出して笑ってしまいそうになりました(笑)もちろん、周りに迷惑なので大爆笑するのは心の中だけに留めましたけれど。今回のキャストでは一番山路さんにツボを突かれました。特におもしろかったのは、やっぱり「綺麗好き、ホワイティ。」のところですかね。今、思い出しただけでも吹き出しそうになってしまいました。わかる人にはわかると思います(笑)。本当に素敵な俳優さんです。魅せ方を全部わかっていらっしゃる。山路さんのお陰でだいぶ楽しい気持ちになりました。

 

そして今回の舞台でどハマりしてしまったのが、花乃まりあさん。恥ずかしながら、この作品に出逢うまで全く存じ上げなかった女優さんなのですが、すっかり虜になってしまいました。なんて綺麗なんでしょう…。さすがは元宝塚娘役トップ。去年から舞台でいろんな女優さんを拝見しましたが、あんなに美しい人はいませんでした。まるでフランス人形のようで、とにかく圧倒的にお綺麗すぎて、生身の人間だなんて信じられません。何回も夢じゃないよなって確かめちゃいました。私と同じ生き物でしかも同じ性別で、あんな綺麗な個体がいるとは。もはや妬みも湧いてこないくらいに綺麗です。あまりの美しさに、開いた口が塞がらなくなりました。完全に余談ですが、当日券売り場に並んでいた時に「関係者です」と言う、宝塚の男役であろうイケメンすぎる女性おふたりが登場。2mくらいの至近距離で拝見し、これにも心を奪われました。月並みな言葉ですが、オーラがすごかったです。まるで別世界の人のようでした。きっと花乃さんを観に来られたんでしょうね。退団後も交流があるんだなと思ってなんだかほっこりしました。

 

 

話題は多岐に渡りましたが、こんな風にいろいろと考えてみるのがすごく楽しいです。上演中だけではなく、こうして作品について考えている時間もスタインベックからの、健くんからの贈り物なんだろうなと思います。ジョージを生きる俳優・三宅健の姿を私は一生忘れないでしょう。形には残りませんが、かけがえのないプレゼントを頂いて本当に感謝しかありません。人生最高の秋になりました。健くん、そしてチーム『二十日鼠と人間』の皆様、本当にありがとう!

 

明日はとうとう大千穐楽。無事にその瞬間を迎えられますように…!

舞台『二十日鼠と人間』感想

運良く当日券を取ることができ、10月9日のマチネ公演に行ってまいりました。初めて行く健くんの舞台です。

もちろん初めての東京グローブ座。地方から遠征したため、道に迷ったらどうしようかと思いましたが、新大久保駅から真っ直ぐ一本道だったので迷うこともありませんでした。というのも、池袋方面から電車に乗ったため、車窓からグローブ座が見えていたのです。外観はネットを見て知っていたので、「あっ!あれだ」とすぐにわかりました。

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まず出迎えてくれたのが大きな看板。いや〜、健くんかっこいい。美しい。それ以外に言葉が見当たりません。本当に端正な顔立ちをされていますよね。いつも雑誌やテレビでしか会えない健くんに、数時間後には生で会えると思うと胸が高揚します。

私がこの場所に着いたのが10時過ぎ。まだ人は少なく、私以外に一人お見かけしたぐらいだったかしら…?

お腹が減ったので、新宿まで10分ほど歩いてカフェで腹ごしらえしてきました。そうこうしてる間に当日券の集合時間 12:30に。整理番号1番の方から5人ずつくらい呼び出され順番にチケットを受け取り、中に入れます。係のお兄さんが「一部見えづらいお席や、パイプ椅子、補助席でのご案内になる場合がございます。」と仰っていたので、どんな席かと少し不安になりましたが、“ 健くんを肉眼で拝めるだけでもしあわせ。席はどこだっていいじゃない ”そう自分に言い聞かせました。待っても待っても、私の番号は呼ばれません。「だだいまお席の調整を行っております。開演直前のご案内になる可能性がございます。ご理解のほど、よろしくお願い致します」と先ほどのお兄さん。開演10分前になっても呼ばれないので、本当に入れるのか?!と心配になってきました。当日券の整理番号がかなり後半だったこともあり、中に入れたのは開演間際。5分前くらいでした。チケットのもぎりを終えるとすぐにフライヤーが手渡されました。私は小さなショルダーしか持っていなかったので、中に入れることができず大きなカバンをもってこればよかったと酷く後悔。これから行かれる方はぜひA4のハードケースと、それに相応しいカバンを持って行ってくださいね。帰宅してから気づいたのですが、半ピラではなく、開きになっていて結構立派なフライヤーです。

 

いざ蓋を開けてみると、なんと前から4列目ではありませんか!しかも補助席ではなく、ふかふかの備え付けの座席。パイプ椅子も覚悟していたので、なんだか得したような気分になりました。(笑)

さてさて、前置きが随分と長くなりましたがここから舞台の感想に移りたいと思います。ちなみに私はフラットな状態で物語を感じたかったので、原作は読まずに行きました。

 

以下、ネタバレ有りですので、未観劇の方、知りたくない方は、観劇後にお読みください

 

 

 

 

 

 

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そこまで深くは突っ込んでいないつもりですが、観劇前には読まないことをお勧めします(しつこい)。

 

※ここまで敬体で書いてきましたが、以下、都合により常体にさせて頂きます。

 

レニーは子どものように純粋な心を持った、とんでもない力持ちの大男。ジョージはレニーと比べるととても小柄で、正義感の強い男性。

ジョージとレニーは幼馴染なのだが、ただの友情関係を超えるものがある。(結末とは関係なく)お互いの運命まで背負っているような…。どこか生涯の伴侶のような空気さえ漂っていた。いつもジョージはレニーに怒ってばかりだけれど、それはレニーのことが大好きで心配だからゆえの行動。ここに関してはちょっと親子みたいだとも思った。だって、いくら仲が良い友だちでもあんなに怒ったりできないだろう、なかなか。冷たいようだが、友だちなんてそんなものだ。楽しい時に一緒にいて、苦しい時は離れてしまう。仲良くしていても、ひょんなことから関係が終わったり、いつかは見捨てられるかも知れない。本当に辛いときに支えてくれるのは家族くらいのものではないだろうか。そういう意味で、ジョージはレニーに対して友情以上に大きな、とても大きな愛を持っていると思う。そしてまた、レニーもジョージのことをただのお友達とは思っていないだろう。まるで飼い主の言うことをよく聞く忠犬のように、レニーはジョージの言うことに従う。レニーにとって、ジョージは絶対なのだ。でも、決してジョージがレニーを押さえつけているわけではない。ただレニーがジョージを全面的に信頼しているのだ。

どうしてお前は足手まといでしかないレニーのことをそんなに庇おうとするのか、と農夫仲間に聞かれたとき、ジョージは「レニーは昔から一緒に暮らしてきた従兄弟なんだ」と嘘をついた。みんなが居なくなった後で、レニーが嬉しそうに「さっきさ、ジョージ俺のこと従兄弟って言ってくれたね!」と言うと、「はあ?!あれは言葉のあやで、あんなのさらさら本心じゃない。親類なんかにお前が居たら大迷惑だ」(ニュアンスこんな感じ)と返していた。ふふっ、ジョージも可愛いやつよ。今風に言うと、軽い言葉になってしまうが、ジョージはツンデレ。ツン:デレ=8:2くらいでツンが多い。(笑)

時にはレニーに対して怒り狂い、「お前さえいなければ、俺はどんなに楽だったか」とナイフを振り回すジョージ。そこにはアイドル・三宅健はいなかった。目の前にいる彼はジョージだ。舞台の草が本当に切れていたので、ナイフは偽物ではない。章平さん(レニー)に当たっちゃわないかな…とかナイフが客席に飛んで行かないだろうか…とか余計な心配までしてしまった。レニーを見るジョージの真剣なその眼差しからは、(おそらく知的障害を抱えた)レニーの面倒は一生俺が見続けるという覚悟さえ感じられた。

冒頭から何度となく繰り返されるレニーがジョージに夢の話をしてくれと頼むシーン。その一連の流れが大好き。最初は全然乗り気じゃないジョージだが、「それでそれで?続きも話してよ!」とまるで寝る前に絵本の読み聞かせを親にせがむ幼子のようなレニー。そんなレニーにつられて、だんだん笑顔になってくるジョージ。その笑顔がまた…!健くんの演技のお上手なこと。二人とも自分たちだけの世界に入って、目をキラキラさせて夢について語っていた。本当に素敵な空間。地位もお金もないが、大きな夢だけはある。日雇いであちこちの農場に行き、重労働を強いられる毎日。側から見れば辛い日々かもしれないが、二人にとってはそんな人生でもきっと満たされていて、幸せ。隣に愛する相棒の姿があればそれだけでいい。

健くんのファンで、健くんお目当てで見に行ったが、章平さんの演技も本当に素晴らしく引き込まれるものがあった。怒ってばかりのジョージが悪いやつ見えないのは、相方のレニーの存在ありき。レニーが呆れるほどにジョージに頼りっきりの、純粋無垢な可愛いやつだからだ。

結果として、レニーはカーリーの奥さんを絞殺してしまったが、ほんとにジョージが言ってたようにいやらしい気持ちとか殺意は微塵もなかったんだなと、いろんな方の感想を読んでそう思った。急に大きな声出されたからびっくりしたんだよね…どうすればいいかわからなくなっちゃったんだよね…。でも、厳しいようだけれど知的障害があるから、っていうのは人殺しの正当な理由にはならない。レニーは自覚なき殺人犯なんだ…(涙)奥さんを殺してしまってから、初めてジョージに会った時「ジョージ、怒らない?」と聞いてたのは、カーリー妻を殺したことを気にしていたのではなく、その前に鼠を殺したことを気にしての発言。レニーは動物が大好きで、愛らしい小動物を愛情たっぷりに抱きしめるが、力加減が上手くできずそのつもりもなく殺めてしまうことが何度もあり、いつもジョージはそのことで怒っていた。だから、また怒られないかなって怖くなった。可愛いと言ってはいけないのかも知れないが、可愛いなあ。レニーはびっくりするほど飾らない人柄。物事を考えたり、空気を読んで上手に人とお話しをしたり、言われたことを覚えておくのは苦手だけれど、誰よりも優しくて思いやりを持った青年だ。


物語では詳しく描かれていない2人のそれぞれの恋愛模様について少し考えてみた。

レニーは言うまでもないが、ジョージにも恋人やそれらしき人のにおいはしなかった。レニーにはジョージしかいないし、ジョージにはレニーしかいない。お互いがいればそれで充分。他には何も求めない。互いに足りないところを補い合って、支え合う。そんな関係って素敵だなと思った。お爺ちゃんになっても二人で支え合いながら生きていくつもりだったんだろう。死が二人を分かつまで、ずっと。

もし、二人ともある程度まで長生きして、ジョージが先に逝きレニーが残されたら……?そう思うとあの悲しすぎる結末も一番の不幸ではなかったのかもしれない。それでもやっぱり無邪気に夢の話を聞きたがっているレニーの無垢な心を想うと、そんなレニーを殺めてしまわなければならないジョージの心を想うと、辛くて苦しくて切なくて言葉が出ない。池の方を向けというジョージの表情ときたら、本当にたまらないものがある。チンケな言葉になってしまうが、悔しそうで、悲しそうで、滅多に泣くことのない私でも涙が溢れてきた。愛しているからこそ、殺すときは自分の手で。うう…辛すぎる。

本筋から離れるが、ジョージの髪をかきあげる仕草に何度キュンキュンさせられた事か。色気ムンムンで、あのシーンに関してはアイドル三宅健に変換してしまう自分がいた(小声)。本当にかっこいい。なぜこんなにかっこいいのか教えてほしい。いつもの無邪気な健くんとは違って、ジョージは哀愁帯びた大人の男。こんな健くんは初めてだ。健くんご本人も囲み取材で言っていたように、まさに新しい三宅健だと思った。怒って笑って、また怒って、泣いて…。熱量全開でジョージを生きる三宅健の姿は、いつもにも増して美しく感じられた。

とてつもなく後味の悪いというか、悲しすぎるラストだったが、カーテンコールで章平さん(レニー)にお姫様抱っこをされて客席にお手振りをする健くん(ジョージ)の姿に救われた。ああ、さっきまでのはお芝居なんだよなって。あとジョージの未来がこの笑顔のように幸せでありますように…と願わずにはいられなかった。

 

ちなみに、このお芝居を見に行った10月9日は長野くんの誕生日であり、なんと舞台の見学に井ノ原くんが来ていたそう。長野くんの誕生日に、井ノ原くんと一緒に、健くんの舞台を観劇。嬉しいことづくしな一日だった。

二十日鼠と人間』はまだまだ続く。最後まで誰一人欠けることなく、完走してくれることを心から願う。私はあと2回見に行く予定なので、次に行くときまでに原作を読んでみようと思う。なんでも、原作から飛び出して来たのかと思うほど原作に忠実な演技だということで気になってきた。最後の1回は大阪で見る予定なので、また身を熟した座組みの演技を見るのもとても楽しみだ。

 

 

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最後までお読みいただいき、心からありがとうございます。乱文失礼致しました。

 

そして、芸術の秋、素晴らしい作品に出逢えた奇跡に感謝して。また新しい季節が来る頃、ジョージはどうしているだろうか……。

 

#二十日鼠と人間